1日目(新潟〜鄭州)
朝7時に起床。前日は日中は仕事、晩は東京から来た友人達と片貝の花火大会へ行ってしまったので準備が全くできなかった。 結局、友人が帰った夜の1時頃から準備を始めて、アイロンをかけたりしてたら3時半過ぎまでかかってしまった。 睡眠時間は3時間半。眠い。今日は成田空港からのフライトで、これから新幹線と成田エクスプレスに乗るので、そこで少し眠ることにしよう。 前の晩の準備の成果か、朝はあっさりと準備ができてしまったので、予定よりも30分ほど早く宿舎を出発。大学下のバス停まで トランクをゴロゴロ言わせながら歩く。ここはずっと下り坂だから楽だ。7分ほどでバス停に着いて、ボーと立っていると 大学へ通勤してくる人たちの車が目の前を通過していく。知ってる顔ばかり。何人かは気がついて挨拶をしてくれた。 ほぼ定刻でバスが来る。終点の長岡駅へも定刻。切符を買ったところでちょうど新幹線が来たのでそれに乗る。空席があり すんなりと座ることができた。時計を見ると予定してた列車よりも1時間ほど早かった。よしよし、 これでだいぶ時間に余裕ができた。シートに座りひといき。そこでどっと眠気が強くなる。 まあどうせ降りる駅は終点の東京だし、しばらくはのんびりと寝ていることにしよう。。。
「まもなく東京です」のアナウンスで目が覚める。良く寝た。おかげで頭の芯に残った眠気が少し取れたみたい。東京へは定刻で到着。
成田エクスプレスが発車する総武横須賀線の地下ホームへ移動。接続時間はだいたい30分あり全く余裕。そうだ、今のうちに東京の実家へ
電話をしておかなきゃ。ポケットから携帯電話を取り出しコール。母が出る。
いま東京に着いてこれから空港へ向う旨などを話し切る。
待つこと15分くらい。定刻で成田エクスプレスが到着した。
東京駅では、通常、先に横浜始発の列車が到着し、その後で池袋始発の列車が来て連結をする。
しかし、そんな事は初めて乗る人は知らない。来た電車にそのまま乗るもんだと思い込む。
しかし、最初に到着した車両は、後から到着する車両に乗る人たちの前をスーッと通り過ぎて遥か前方で停車する。
そうすると事情を知らない外国人はあれ?と顔をする。中には慌てて荷物を持って走る人もいる。
しかも、その間ホームでは日本語のアナウンスがあるだけで英語のアナウンスはない。
外国人がけっこういるのになんか不親切だなあと思う。 やっと成田空港駅に到着。時計を見ると13時だった。これは最初に予定していた到着時間と同じ時間。 今回は早目に出て正解だった。もし時間を早めずに予定とおりの時間に家を出ていたら今頃まだ東京駅にいたかも知れない。 そう考えながら改札口の前まで来たらJRの職員が成田エクスプレスの特急券の払い戻しをしていた。ラッキー。 これで特急料金の1460円が浮いた。
空港に入ると中国方面のチェックイン・カウンターはあまり人がおらず、しっかり窓際席確保をお願いしつつ、
あっという間にチェックインが終了。
富士山を通過してから雲が多くなる。予報によると台風が接近中らしい。 窓から外を見てても雲しか見えない状態になってきた。いい加減あきらめるか。気圧計を見る。870hPa。 高度換算の式h=18410*log(P0/P)を思い出し計算する。それによると、だいたい高度1200mの気圧と同じ事がわかる。
そのうち機内食が出てくる。中国国際航空なので、中華料理のようなメニューだ。
日本の中華料理とは味付けが少し違うがおいしい。
ところで、これと同じようなことは中国人も感じるらしい。以前、大連の大学から来たお客さんを、
今度は逆に横浜の中華街の有名な老舗中華料理屋に連れて行ったことがあった。食後、
彼にそこの味について感想を聞いたが、彼は「これは中華料理じゃない」と言い切った。 そういうたあいも無いことを考えながら機内食を食べる。上海到着までまだまだ時間はある。 時計の気圧計を見る。807hPa。高度換算で1800m。けっこう室内の気圧を下げるもんだな。 ひと息ついたところで、昨夜の寝不足がまだ残っているようで眠くなってきた。窓の下は雲しか見えないし、 また一眠りしようか。。。
1時間くらい寝て目が覚める。だいぶすっきりした。機内アナウンスではあと20分ほどで着陸すると言っている。
窓の下を見るとまだ雲しか見えない。 上海の街並み
上海空港(機内から) 5分くらい並んでやっと半歩くらい先に進んだ。いったいどうしてこんなに時間がかかるんだ? そうこうしている間に後ろに並んでいた男性がジリジリと横に並んできて更に前に割り込もうとしてきた。 いかんいかん、中国は割り込み社会だった。気を抜いたらどんどん横入りされてしまう。 肩にかけているカバンに力を入れ、割り込みをしないように彼をブロックする。 中国は基本的に割り込みを平然とおこなっていてそれが許されている社会である。 こういう人が多いところではあまり整然と並ばず他を出し抜いて少しでも先に行こうとする習慣があるみたいだ。 この習慣って車を運転するときにも残ってるんだよなー。 自分は短気ですと言わんばかりにクラクションをパーパー頻繁に鳴らすし、運転は乱暴。譲り合うという習慣は全く無く、 頭を先に入れた方の勝ち。初めて中国で車に乗った時とても怖い思いをした。最近では都市部ではかなり運転マナーが良くなったが、 それでも乱暴な運転だなあと思う。 話しがソレたが、隣の列にはいかにも日本人とわかる若い女性が並んでいるが、 日本国内と同じような間隔で前の人と少し距離をおいて並んでいるものだから、どんどん横入りをされてしまっている。 しかもそれでも前に詰めようとしない。あれは後ろの人はイライラするだろうな。。。
結局入国審査が終わるまで1時間ちょっとかかってしまった。いま18時半。次のフライトは19時半だから急いで国内線へ行かなきゃ。
成田で預けた荷物をピックアップし、国内線への乗り継ぎ方をそこらに立っていた係員に尋ねる。
中国ではこういうところにいる係員はほとんど女性である。どこに行っても女性がたくさん働いている。
女性雇用率としては世界のトップレベルではないかと思う。それはさておき、英語で質問したらすぐに英語で返事をしてくれた。
よしよし、さすがは国際線の場所にいるだけはあるな。。。教えてもらったとおりに国内線のビルへ。
建物に入ったところで、今度は次のフライトのチェックインをするカウンターの場所を近くにいた女性の係員に尋ねる。
また英語で聞いたら(実は英語しかできない)、今度はちょっと待ってというそぶりをして、英語が分かる男性を呼んだ。
それでも彼の英語はちょっと分かりづらく2回くらい聞き直した。ここらからちょっと意思の疎通が難しくなってきた。。。
隣の建物の国内線のフロアに行き、手荷物検査場の入口まで行ったとき、空港使用料をまだ払っていないことに気がついた。 払う場所が分からないので、目の前に立っていた男性の職員にどこで売ってる?と聞くと、そこ、と隣のカウンターを指さす。 見ると、誰も整然と並んでなんかおらず、みんな横一直線だ。はあー、また割り込みの嵐か。。。。 それでもなんとか空港使用量(50元≒833円)を払い、手荷物検査場へ入るための行列に並ぶ。 あれ? ここではみんなちゃんと並んでいる。なんでだ?係員がいるからか? 10人くらい進んだところで検査場で何をしているか見えてくる。何とそこではみんな靴を脱いで金属探知機を通っていた。 すごーい、アメリカなみじゃん。ちょっと驚いた。それともこれが当たり前で、していない日本が楽観過ぎるのかな。。。 金属探知機を通貨するときにブザーが鳴った。こっちに来て下さいと言われ、女性職員にボディチェックを受ける。 原因は財布だった。換金のときはお札でしか貰ってないから、コイン(金属)の量は日本を出国してから全く変わっていない。 日本では反応しなかったのに、中国では感度上げているのかな。。。などと考えながら荷物を受け取り、フロアへ。 すると建物はいきなりシックな色調の雰囲気になった(写真=国内線フロア1,2)。 国際線はモダンさを感じさせる灰色系の色調であった(写真=国際線フロア)が、 国内線は暖かさを感じさせる木の色を多用している。 この色彩を見て北京空港を思い出した。日本の友人に北京空港の雰囲気を説明するときはいつも、 70年代の上野駅の建物と人の雑踏の雰囲気、と説明しているが、そんな感じだった。 もしこれを読んでくださってる人で、私は80年代以降に生まれたからそんなの知るかー! という人がいたらごめんなさい。 窓の外を見ると夕闇の中に飛行機がいる。なんか雰囲気がいいので写真を撮る(写真=飛行機)。
説明された搭乗口を目指す。掲示板に従い階段を降りると、そこは地上階の待合場だった。
どうやらここからバスに乗って行くらしい。4つくらい搭乗口があり、そこで待っている人はけっこういた。
見回すと売店の他雑誌売り場や公衆電話がある。
まだちょっと時間があったので、そこから日本へ国際電話をかけようと思い、売店に行き、おばちゃんに
テレホンカードをくれという。でも英語が全く通じない。仕方ないので電話を指差し電話をかける仕草をしたら
分かってくれたようで、片手の指を広げパーをした。まさか5元ってことはないだろうから50元なんだろうなと思い、
100元札を出したら50元おつりがきた。あたり。 そうこうしてるうちに搭乗時間になった。ゲートがあき、みんな横入り合戦をしながらバスに乗り込む。 車内にあまり人が乗らないうちにバスは出発。飛行場内を走り、空港建物がどんどん遠くなっていく。 かなり離れたところでやっと到着。バスから降りてみると空港建物が遠くに見える(写真下)。 ここで写真に写る青い尾翼の飛行機に乗り込む。
上海空港 (鄭州行の飛行機から)
離陸してから窓の外を見ると、接近する台風の影響か下は雲海。 でも、月明かりが綺麗だ。 今度は1時間半のフライトなので感覚的に早い。1時間もしないうちに飛行機は高度を下げ始めた。 この頃には下の雲海も消え、下の街明りも見えるようになっていた。着陸直前になって、 ひときわ明るい鄭州の上(写真=鄭州の夜景)を飛び越える。さすがは河南省の州都。大きい。 飛行機は定刻の21時すぎに無事鄭州に着陸。ここから街までは少し距離が離れているので、車で移動をしなければならない。 今回はホリデー・イン系列のホテルに宿泊の予約を入れており、空港までのピックアップをお願いしてある。 ちゃんといるかな?もしいなかったら仕方がない、タクシーだ。 ガラガラのBaggage Claim(写真=手荷物引渡場)で荷物をピックアップし外に出ると、 紙を持ったお迎えの人たちが数名立っている。 もしかしたら自分の名前があるかな。一人一人の紙を見ながら歩いていると、一人の女性が持っている紙に「MR. INUKAI」。 あった! よかったあ。ちゃんと迎えに来ていてくれた。 これは私だ、と英語でいうと、女性もこちらへいらしてくださいと英語で話してくる。へー、さすがは外資系のホテル。 ちゃんと英語が通じるじゃん、と関心した。案内されたのはフロアのはずれにあるホテルのお店。すでに2人いた。 そこで5分ほど待たされる。もう一人増えたところで行きましょうと言われ、 空港の外の駐車場に止めてあるマイクロバスに案内された。歩きながら、先ほどの女性が鄭州は始めてですか? と話しかけてくれた。そうです、思っていたよりも大きな街で、空港も綺麗ですね、などと答える。 ちなみにここから街まではどれくらい離れてますか?と聞くと、距離は34kmで、ここからハイウェイに乗り、 ホテルへはだいたい50分くらいで着きますと教えてくれた。へー。けっこう離れてるんですねといいながらバスへ乗り込む。 バスはワンボックスタクシーみたいな大きさで、15人くらい乗れる。一番後ろはトランクなどの荷物を置ける空間がある。 今回の利用者は4人しかいないので、みんな好き勝手な場所にばらけて座る。私は真ん中の席に座る。 私のトランクはホテルの人が後ろに積んでくれた。
バスはひたすら高速道路を走る(写真=ハイウェイ)。 最近では、中国のどこでも空港へ続くハイウェイが整備されてきているようだ。 トラックが特に多く走っている(写真=トラック1)。そのほとんどが積載制限をオーバーしてるんじゃないかと思うくらい (実際そうだと思うけど)荷物をたくさん積んで走っている。 それにしても振動がすごい。コンクリート舗装だからか、それとも車のサスペンションに問題があるのか。。。 途中料金所を通る。ずいぶん頑丈に作ってあるなー。たいして意味もないけど写真を撮る(写真=料金所)。 そのうちバスは街中へ入る直前で、立体交差の大きな交差点を左折した。ぼんやりと外を見ていると、 歩道の上にたくさん人がいる。何をしているんだろう?とよく見てみると、どうやら寝る準備をしているようである?? なんでぇ???何をしているんだろう。服装からみても浮浪者のようには見えないけど。。。あとで誰かに聞いてみよう。 (後でホテルの人に聞いた。2日目参考) ?マークが飛び交っているうちにバスは街中へ。あとは見慣れた近代中国の街並みが見える。大きなビルがたくさん建設工事中で、 道路沿いには青いドカシートで覆われた屋台がいっぱい出ている(写真=屋台)。屋台の周辺には人がいっぱいいて活気がある。 こういう雰囲気ってけっこう好きだ。 街の中心部に着いたな、と思ったところで、バスはホテルに着いた。ホテルの前でちょうど赤信号で止まったので写真を撮る (写真=ホテル)。ホテルはホリデーイン系列のCrowne Plaza Zhengzhou(鄭州)である。へー、けっこう立派じゃない。 玄関にバスが止まったところでドアマンが来て荷物を降ろしてくれる。すぐにカウンターへ案内をしてくれてチェックイン。 そこにも中国人だが英語を話せる女性がいて丁寧に説明をしてくれた。説明が一通り終わったところでサイン。 私の英語のサインを見て「とても上手!」と誉めてくれた。 あたりまえだい! アメリカにいるときにさんざんサインしたんだから。。。 そのままエレベータに乗り、ボーイに5階の部屋へ案内される。ありがとうと言いチップ10元を渡す。 一応チップの習慣は中国にはないのだが、あげた方が後々のサービスが良くなることが多いので、 私は毎回あげるようにしている。 部屋にはミニバーなどがあって綺麗だ(2日目に写真掲載)。窓のカーテンを開けて外を見てみる(写真=ホテルの窓から)。 オレンジ系のライトに照らされた通りが見える。車がチラホラ走っているが、やけに静かだ。防音がしっかりしてるのかな。 もっとも、この理由については明日(2日目参考)知ることになった。。。 ホテルの部屋からの夜景
と、いきなり電話が鳴る。出るとフロントで、外線が入っているという。OK、つないでと言ってハロー?と言ったら、
武漢の友人からだった。彼とはフロリダ在住のときに客員教授として同じ学科にいたことがあり、そこで知り合った。
彼は武漢の大学の教授であり、日本の九州大学にも数ヶ月滞在したことがある。私がフロリダへ渡米したときには彼は既におり、
何もわからない私へ情報をいろいろと提供してくれた。私がアメリカ人の英語のスピードにまだついていけない時期で、
ちょっと話しをするのにもいちいち身構えて話しをしていた中で、彼の英語はとてもゆっくりで分かりやすかった。
まあ、悪く言えば彼の英語も上手じゃないんだけども。。。
でも、おかげで彼と話をするときは大変リラックスしながら純粋に会話を楽しむことができた。しかし、
残念ながら彼は先に中国へ帰国してしまった。それ以来会ってはいないが、電子メールで時々近況を報告しあっている仲である。
そういう経緯で、今回の鄭州訪問も事前に電子メールで知らせてあった。
次にパソコンをインターネットに繋がなきゃ。カバンからパソコンを取り出し起動する。電話回線をつなぎ、
鄭州のアクセスポイントへダイアルアップ。あれ?つながらないぞ。日本で試しに接続したときはちゃんとつながったのにな。
仕方ない、前につながった大連に繋ごう。。。よし!繋がった。 こうして、私の鄭州訪問の第1日目は終わった。。。
( GLobe, EStuary and COast ) |